ほぼ1年、更新が途切れていました。申し訳ありません。昨年5月に新型コロナ感染症が5類扱いになり、落ち着くかと思いきや反対に、とてつもなく忙しくなってしまいました。
発熱患者が減ったわけでは無く、むしろ気軽に事前の電話相談無く受診する人が増え、それ以外の患者さんも「受診控え」がなくなり、行政や医師会関係の公的な会議や学術的な講演会や研究会も復活し、それどころかむしろコロナ禍前より増え、その結果各種書類の処理や事務仕事、講演の準備などで、月の半分は日付が変わるまで仕事をしていて、休日もほとんどありませんでした。
と、まず最初に言い訳させて頂いて、それでも自分の健康のために最低限のトレーニングとたまの山登りは続けていました。その中で、昨年夏にはは昔からの登山仲間と一緒に富士山に登ってきましたのでそのご報告を。
「一生のうちに1回くらいは富士山に登ってみたい」
数年前のこと、親しい友人のドクターに言われ、「それならご一緒しましょうか?」と意気投合していましたが、新型コロナウイルスのパンデミックがやってきて、延び延びになってしまいました。2022年にも早めから山小屋を予約して準備していましたが、7月から8月にかけてのコロナ第7波で泣く泣く計画中止。
2023年も5類移行後に感染者数が緩やかに増え続けて気をもみましたが、重症化率が低く推移していることもあり、決行となりました。
富士山の登山ルート
富士山の登山ルートは「富士宮ルート」「須走ルート」「御殿場ルート」、山梨県側の「吉田ルート」があり、登山者が一番多いのは関東圏から交通の便が良い山梨側の吉田ルートですが、関西から新幹線を使ってアクセスしやすいのは富士宮ルートです。
よくテレビニュースで「富士山大混雑」が報じられるのは殆どが吉田ルートですが、このルートの大きな欠点が頂上手前で須走ルートと合流することです。吉田ルートは北側斜面のため、頂上近くまで登らないと御来光が見えないので、皆が御来光を目当てに頂上を目指す結果、日の出前は須走ルートとの合流部が大渋滞になります。一番空いているのは距離が長い御殿場ルートですが、交通の便が悪く時間もかかるので却下、今回は富士宮ルートから登ることにしました。
新幹線で新富士駅へ
朝8時過ぎの新幹線で京都駅を出発、10時過ぎには新富士駅に到着しました。ここで広島と東京からのメンバーが合流し、タクシーに分乗して標高2400mの富士宮口五合目へ。五合目の登山口で「富士山保全協力金」1000円を払って、協力者証の木札(左)をもらいました。今年は世界文化遺産登録10周年とのことで、特別デザインです。ここで準備を整えて11時40分に登山開始。
富士宮五合目から八合目まで
1日目は標高3200mにある八合目の山小屋(池田館)までの予定なので、ゆっくり登っても十分明るい内に着くはずです。空気も薄いため焦らず一定のペースで、また日陰が一切ありませんので熱中症にも注意が必要です。登山口から山小屋までは直線で結ぶとたったの1.7km、ジグザグの登山道に沿って歩行距離にしても3.3kmしかありません。所々で宿泊予定である八合目の小屋(正確には小屋の横にある診療所の建物でした)が見えるのですが、実際に歩いてみるとなかなか近づいてきません。登り始めて2時間あまり、午後2時頃にやっと標高3000mを超えました。ここから八合目までもうひと登りですが、ますます斜度が増し、空気も薄くなって来るので八合目までの標高差200mに1時間かかり、午後3時に山小屋に到着しました。ゆっくり登ってきましたが、結果的にはコースタイムよりやや早く到着して、皆大満足。
寝床に案内してもらって荷物を置いたら、とりあえずビールで乾杯! 早い夕食を摂ったあとは自分達の寝床に戻って歓談し、午後8時に消灯&就寝。山小屋はほぼ満員でしたが、心配していたほどぎゅうぎゅう詰めではなく、普通に寝ることが出来ました。
二日目、八合目で夜景と御来光を眺めてから山頂へ
山頂で御来光を見たいグループは午前1時か2時には出発していきますが、我々はゆっくり休んで時々夜景や星空を眺め、小屋の前で夜明けを迎えました。朝食を食べてから午前6時に小屋を出発、午前8時に山頂の頂上浅間大社奥宮に到着しました。
頂上浅間大社奥宮から最高峰剣ヶ峯(3776m)へ
最高峰の剣ヶ峰(3776m)はここからもう少し上がったところで、二等三角点があります。かつてはここにレーダードームがあり、1964年から1999年まで800km先まで観測できるレーダーが台風の予報などに活躍しました。現在、その役目は気象衛星が担っています。
剣ヶ峰を踏んだ後はそのまま山頂の火口の周囲をぐるりと一周する「お鉢巡り」をして、登りと同じ富士宮ルートで下山しました。
富士山よもやま話
飛鳥時代に聖徳太子が馬に乗って富士山に登ったとか、役小角が流刑先の伊豆大島から海上を歩いて富士山頂に通ったといった伝説が残っていますが、信用できそうな記録では平安時代の貴族、都良香(みやこのよしか、834年~879年)が「富士山記」に富士山頂上について具体的な記述を残しており、良香本人かあるいは周辺の誰かが実際に登頂していた可能性が高いと考えられます。
古い和歌にも富士山を詠んだものが多く残されていますが、この頃の富士山は頻繁に噴火を繰り返していたため、殆ど登ることはなかったようです。修験者が富士山で修業を行うようになったのは噴火が落ち着いた平安末期からで、末代上人(別名富士上人、1103年~没年不詳)が山頂に大日寺を建て、鎌倉時代には村山浅間神社から頂上へと向かう登山道(現在の富士宮口登山道の一部)が開かれ修行のための登山が行われていました。
室町時代には修行ではなく参拝のための登山が確立し、江戸時代中期以降には富士講が流行して、一般人による信仰目的の登山が増加しました。観光目的の登山が始まったのは明治時代に西洋の登山文化が伝わってからです。
ところで、全国にはそれぞれの地域に「富士」の名前を付けた「ふるさと富士」が数多くあり、その数は少なくとも340あるといわれています。身近なところでは滋賀県の近江富士(三上山)が有名ですが、比叡山にも「みやこ富士」という別名が付けられていますが、「富士」に見えるかどうかは人それぞれでしょう。
高山病と熱中症に注意
現代人が富士山に登る場合、普通はバスなどで五合目まで上がって歩き始めると思いますが、五合目は既に標高2400mで森林限界を超えています。平地からいきなりこの高度までくると、身体はまだ薄い空気に慣れていません。最初は身体を慣らしながらゆっくり歩き始めましょう。ちなみに今回の登山の一日目は標高2400mの五合目から標高3200mの八合目まで、距離3.3km標高差800mを休憩時間込みで3時間半かけて登りました。平均時速1km弱の超ゆっくりペースですが、これでも平均より1時間速いペースです。空気の薄い山ではこのゆっくりペースが大切なのです。
また、富士山五合目は既に森林限界を超えていて、そこから上には木陰がありません。晴れた日は絶えず日光にさらされながら歩くことになり、熱中症の危険も高まります。しかし、高い山なので日が陰って風が吹くとたちまち体が冷えてきますので、服をこまめに着たり脱いだりして体温調節の工夫も必要です。高山病や熱中症の予防のためには適切な水分補給がかかせません。水分は「早めに、こまめに、少しずつ」を守れれば、普通の水でOKですが、脱水症状に陥ってしまった時には、塩分や糖分を含むスポーツドリンクの様な物の方が、速やかに吸収されるので効果的です。
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