前回の記事の続きです。前回の記事では検査の感度、特異度、偽陽性、偽陰性、事前確率などの専門用語が出てきました。これらの言葉の意味と、検査を有効に活用するための基礎知識について解説します。
これは新型コロナウイルスのPCR検査だけではなく、他の医学的検査全般にもあてはまります。
まず前提として、病気が疑わしい人に対する検査は必要な時にタイミングよく行われなければなりません。その体制はしっかり作る必要があります。しかし、検査をやみくもに行うことは無意味なだけでなく有害でさえあります。どうしてでしょうか。
地域の住民全員に検査を行ったら安心できるか?
2020年5月末で京都府の新型コロナウイルス感染者数は累計358名でした。未確認の感染者がもっと多くいると考えられますので、仮にこの10倍として3580名の感染者がいると仮定しましょう。治癒してウイルスがなくなった人も多いはずですが、ここではあえてそこは無視して「より危険な状況」を想定してみます。
京都府の人口は2020年5月時点の京都府の人口は約257万人ですから、約700人にひとりの新型コロナウイルス患者がいる可能性があります。有病率は0.13%ということなります。
新型コロナウイルスのPCR検査の精度を高めに見積もって、感度(病気がある人を陽性と判定できる率)を70%、特異度(病気がない人を陰性と判定できる率)を99.9%と仮定します。
私が住んでいる京都市北区の人口は12万人ですが、もし「心配なので地域の人全員を検査して安心して暮らせるように」と、12万人全員に対してPCR検査を実施すると何が起きるでしょうか。
有病率は0.13%ですから、12万人の中に156人は本当の感染者がいて、残り119844人は非感染者です。
PCR検査の陽性率は70%ですから、156人のうち109人は陽性と正しく判定されますが、47人は誤って陰性と判定されて見逃されます。非感染者の119844人のうち、99.9%はPCR検査で正しく陰性と判定されますが、0.1%の約120人は本当は感染者でないにも関わらず、誤って陽性と判定されて隔離や入院の対象にされてしまいます。なんと、陽性と判定された人の中で本当の感染者よりも偽陽性者の方が多くなってしまうのです。その一方で、実は感染しているのに検査では陰性と判定されてしまった偽陰性の47人は、安心して動き回ってもっと感染を広めるかもしれません。
これは検査の特異度が99.9%と極めて高いと仮定した上での計算ですが、もし検査の特異度が99%(これでも相当高いのです)になると、非感染者の1%、約1200人が陽性と判定されることになり、本当の感染者の10倍以上の偽陽性者が出てしまい、本当の患者さんが必要な治療を受けられなくなるのは目に見えています。
つまり、「不安だから念のために検査をうけて安心したい」とか、職場で「念のために検査を受けて陰性の証明をもらってこい」という動機で検査数を増やすことは、まさしく百害あって一利なしなのです。
検査を有効活用する鍵は事前確率
それではPCR検査なんか役に立たないのでしょうか?
決してそんなことはありません。鍵は前の記事にも出てきた「事前確率」にあります。事前確率とは検査を行う前段階でそれまでの情報を基に病気を持っている確率を推計したものです。先ほどは、地域の人が全員検査を受けたらどうなるか、という仮定でしたので事前確率は極めて低いものでした。
しかし実際の医療現場で医師は、感染者との接触の有無や流行地域への渡航歴などの情報に加えて、発熱、咳などの自覚症状、診察所見、胸部X線や胸部CT等の検査所見を総合的に判断して事前確率を推計します。PCR検査を行う前の事前確率を高めることが出来れば、つまり医学的に怪しいと睨んだ人に検査を適用すれば、偽陽性者の数をグッと減らすことが出来ます。
例えば事前確率を10%まで高めれば(それだけ検査対象者を疑わしい人に限定して検査数を減らす)、PCR検査の特異度を99%としても真陽性者109人に対して偽陽性者14人、20%まで高めることが出来れば、真陽性者109人に対して偽陽性者を6人まで減らすことが出来ます。それだけ本来は必要ないのに隔離される人が減り、本当に必要な人にしっかり治療を行うことができるわけです。
「事前確率を高める」って本当に出来るんでしょうか?
もちろん、出来ます。従来から様々な病気に対処するにあたって、医師は今までの医学的知見と目の前の患者さんの病状を照らし合わせて事前確率を評価したうえで、「検査が必要か、するならどんな検査をいつ行うか」という判断を日々行っています。それこそが内科医の腕の見せ所とも言えるでしょう。新型コロナウイルスに関しても、検査に先だって同様の評価が必要なのです。
新型コロナウイルスに関して、最初は情報が乏しすぎて困りましたが、わずか数カ月の間に病気の性質、感染の様式、初期の症状など様々な情報がもたらされました。特に胸部CTの所見が診断に有用であることなどが報告されています。
ただし、どれだけ上手に事前確率を評価してPCR検査を有効活用しても、本当は感染しているのに誤って陰性と判定される人の数は減らせません。検査結果を過信して行動することは慎まなければなりません。
最初に書きましたように、この考え方は新型コロナウイルスに対するPCR検査だけでなく、ほぼあらゆる検査に当てはまります。どんな検査も100%正しいということはあり得ませんので、検査を有効活用するためには事前確率の評価をしっかり行い、検査の欠点もよく理解した上で実施することが重要です。
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